男と女は4年で・・・

Hani5結婚して何十年経ってもラブラブ、という御夫妻が番組内で紹介されて、そのVTRをみたタレントの女性が「素敵ですねー憧れますっ」と発言するような場面を見て、「そんな夫婦おらんやろ」とつい、大木こだまひびき状態になってしまうわたしです。いや、仲の良い夫婦は好きですが、相手に対する不満を腹に抱えつつ、なんとか折り合いをつけながら生活していて、でも時々誰かに愚痴らずにはおられない、というくらいの方が面白いと思うんですよね、いしいひさいちさんの家族マンガのように。

わたしが見聞きしたところでは、たとえば、夫がいつも鍵を持って出かけず、出先に電話をかけてきて「家に入れない」「玄関の前でずっと待ってる」と泣きついてくるという妻のお悩み。「だったら機転をきかして喫茶店で待つなり、鞄のポケットにでもいつも入れておくなりすればいいのに、どっちもしないからいつも同じことのくり返し」と脱力の日々だとか・・。その夫側からの不満というのは、「テレビドラマを2人で見始めたのに、生協のチラシをチェックしたり、レシートを分別したり、ばりばり、とせんべいを食べはじめたりして落ち着きがない」というもの。これ・・うちの両親の話ですけど。結構、好きなんですよね、このやり取り。

さて、今日おすすめの本は、『なぜ男と女は4年で嫌になるのか』(姫野友美著・幻冬舎)。なぜ男と女は4年で嫌になるのか 夫婦や、初期のラブラブを過ぎた男女にほぼ間違いなく発生する「すれ違い」を、医学博士で心療内科医の姫野先生が脳や体の構造、ホルモンなどから分析しつつ不満の解消策を紹介する1冊です。不満やすれ違いも、物は考えようで、結局はそれこそが生活を豊かにしたり、いざとなったら自分の助けになる、という奥行きのある目線に心ほぐれます。本書では、先生の本文をもとに男女のズレを描いたわたしの4コマをいくつか載せてもらっています。いつも通り、鉛筆とhybridfineで描いているので、よかったら一度手にとってください。

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滝山コミューン1974。

16 今、『滝山コミューン1974』滝山コミューン一九七四 という、近ごろ話題(らしい)の本を読んでいます。著者と同時代に小学生だったわけではないものの、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」だとか、「みんな仲良く平等に」というスローガンが黒板の上にやたらと貼られていた光景や、卒業式の後、国旗掲揚や君が代の「関係」で辞めたらしい教員の噂が毎年のように流れてきたことなどを思い出して、そわそわ、ざわざわしてくる一冊です。

小学校の高学年といえば、わたしは担任の女性教諭から学校行事のチラシやパンフレットの挿絵、デザインなどを依頼されることが多く、また、背も高く老成していたせいもあってか、先生からは、生徒というより後輩にでも対するような目線で見られていたように思います。学級委員や委員会の役職なども打診、というか「なぁなぁ」な調子で頼まれたりもしました。美人なのにどこかボヘミアンな印象で、芸術家肌で、正しいこと一辺倒でもない物言いをするあたりが新鮮でした。ただ、先生の前では落ち着いて振舞っていても、家でのわたしは末っ子として、まだまだ子ども全開でした。

その先生が、あるとき、「このクラスで好きな友だちと、苦手な友だちを一人ずつ書いて」と教室で紙を配り、十分ほど後に回収するというアンケート(未公表)を行ったのです。好きな人を1人選ぶのも苦手な人を1人指名というのも違和感があり、どう書いたのか覚えていません。先生の正解は、「苦手なひとは0人です」という答えだったのかもしれませんが。

で、「今日、こんなことがあってね」と帰宅して母にそのことを告げたら、母が学校に問い合わせの電話(なぜそんなことを?子どもが悩んだり、傷つく質問では?)をかけ、翌日、先生はわたしを廊下に呼び出し、「あれは、みんなに仲良くしてほしくて、先生は実情を把握しておきたかっただけなんだけど、不快な思いをさせてごめんなさいね」と謝りつつ、「でも、嫌だったら、直接その場であたしに言ってくれればよかったのに」と非難めいた様子がありました。その後は妙によそよそしく、距離を置かれました。学校での出来事を軽い気持ちで家で話しただけで、告げ口した生徒になってしまったのでした。むしろ先生のことは好きなほうだったのに・・・。

その先生とは卒業から10年後、同窓会で再会した際には、なんの遺恨もなく、穏やかに話せたので、ほんとうに、今から思えばあのときの違和感や苦痛は、なんだったんだろうという感じです。

本書の本筋とはそれているのですが、わたしが学校や地域で覚えた違和感といえば、そこから芋づる式に出てきます。偶然ですが、今週、ちょうど『滝山コミューン』の舞台になった地を訪れることになっています。

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へー、いいなぁ。

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阿久悠さんの『恋文』(恋文にまつわる24の物語)を読んでいると、「人生肯定」「自己肯定」のひとだったんだなぁというのが伝わってきます。

『あの鐘を鳴らすのはあなた』の、「あなた」は誰を思って歌えばいいんでしょうか、恋人ですか、とアッコさんが尋ねたところ、阿久さんは「生きてきて出会ったいろんなひとを想って歌えばいい」と仰ったという話に納得です。タイトルは「恋文」だけど、決して、よろめき系にはいかない話ばかり。

向田邦子さんの短編を読んでいた時にも同じようなやわらかい気持ちになりましたが・・・心や身体が弱っているときに、やさしい一冊です。

読みながら思い出したのは、恋文ではなく、母からのメモのような手紙の数々。母はサプライズ好きなところがあって、贈り物や手紙を前触れなくくれたりします。20代初めの頃、人生の節目になるであろう旅に出たとき、スケジュール帳のポケットに母がこっそり入れたポチ袋を見つけたことも。折りたたんだ一万円と「思うように道を進んでください。応援しています 母」というようなことが書かれた一筆箋が入っていたのですが、内容というより、最後の「母.」の一文字に泣けてしまって。

阿久さんの小説でも、手紙の内容そのものより、手紙をもらったり送ったり、出しそびれたりした相手がいて、そういう過去の通過点があったなと、思い返すことで今の立ち位置を肯定しながら明日に目が向く・・という扱いになっているところにあたたかみを感じました。

ちなみに、阿久さんの小説の中では、「箸袋」に書かれた恋文にぐっときました。

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平面の旅。

H3_1 左の絵のはにほさん、キーホルダーサイズに見えるのは、遠近法です。

ほんとうは、安野光雅さんの『旅の絵本』みたいに、あるいは『ウォーリーを探せ』っぽく、はにほさんを風景にまぎれこませようと思ったのですが、ここまで描いて挫折。甘利さんの全身アップになってしまいました。

『旅の絵本』では、小さな旅人の姿を探しながら名画や童話のシーンが挿入された遊び心たっぷりの風景を楽しめるのですが、わたしは特にイエスキリストの誕生(馬小屋)から最後の晩餐あたりまでが風景の中に描きこまれている2巻(だったような)が好きで何度も眺めたものでした。

今、手元にあるのは、友人に薦められた、『ヤンヤンいちばへいく』(ポプラ社)という、中国江南が舞台の絵本です。ヤンヤンいちばへいく 作者の子ども時代の思い出をもとに、市場の活気やそこに集う人々の日々の営みが描かれていて、ヤンヤン少年が叔母と一緒に祖母の誕生日祝いの品を買って回るのですが、見開きにはざっと50人ほどのひとがいて、二人を探すのにひと苦労・・・。一人ひとりの顔に個性はなくても、「黒山のひとだかり」そのものがチャーミング。安野さんの旅の絵本をズームレンズで覗いた目線です。

作者のことばに、「80歳のとき、母の誕生日を3回祝いました。一度目は本当の誕生日を盛大に。数日後、母が『もうすぐあたしの誕生日だったわね』というので再度、一家揃ってお祝い。ひと月ほど経った頃、母はまた誕生日の話を・・・で、3回目も」というようなエピソードと、「それを思い出すたびくすっと笑いがこみあげる」と書いてあって、ああ、やっぱりいいひとだな、と。現在は市場もマーケットに変わり、子供のころ目にしたあたたかで雑多な雰囲気は消えつつあるそうです。

国境や時空を越えられる絵本の旅って、楽しい。

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細かい事情。

33 たまに、同業のかたとお話すると、フリーという立場の「不遇度」について、随分盛り上がります。同じような葛藤の中で、他のひとも自分の感情や生活と折り合いをつけながら仕事を続けているんだなぁと。

社会で生きて行くうえでストレスになるのは、ヒーローにとっての悪者みたいに分かりやすい存在ではないんですよね。なにより自分自身が正義でもないし・・・現状をどうにかするには自分で道を選ぶしかないことも・・・でも、絡まった糸のように事情と感情が入り組んで「あ~も~」と団子状になることがあります。

さて、今わたしは、岡嶋二人さんのミステリーを読んでいます。岡嶋二人とは徳山さんと井上さんという二人のユニット名で、彼らは共同執筆というかたちでデビューして、18年後にコンビを解消されました。今、手元にある『99%の誘拐』という作品は、彼らの最後の合作だったようです。

当初はアイデアを出し合ってトリックや展開を考えていた二人は、プロになり締め切りに追われるようになって、徳山さんが期限内にアイデアを出さなくなり、やり取りも暖簾に腕押しのようになり、執筆担当の井上さんが実質ひとりで作業する(強いられているうちに、井上さんの創作力が上がっていくという仕組みに・・)ことになっていったとか。

コンビ解消後、井上夢人の名前で井上さんは単独で作品を発表し続けますが、その中に『おかしな二人』(講談社文庫)おかしな二人―岡嶋二人盛衰記 という自伝的エッセイがあり、岡嶋二人がコンビ解消に至るまでの長い道のりと喜び、葛藤、苦悶などが綴られています。破局に向かう切ない話ではありますが、どんな小説よりも内容の濃い、何よりおもしろい一冊です。それにしても、コンビ解消を目前にしたドタバタのさなかに書いたとは思えない『99%の誘拐』。岡嶋二人はやはり、「アンバランスで片方に負担がかかるあの形」だったからこそ、よかったのかもしれません。

いろいろ、もやもやはありますが、でも、川は流れるからこそ、澄んでいるし魚も暮せる。仕事も、人間関係も、ひとつにとどまらず、あっちこっちへぶつかりながら流れ流れてゆく、それでいいのかもしれません。

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言い訳の女王。

25 学生時代からの友人から、「女王」や「姫」などと呼ばれることがあります。

耳さわりがよいのでなんかいい気になっていたのですが、よく聞くと悪い意味の女王だったらしくて。

「でしゃばり」「しきり屋」「わがまま」という三大不快要素を具現化したあだ名のようです。普段はおとなしく「しゅん」としているつもりなのですが、人が集まる場所などで「質問のあるひと~」ときかれたら挙手するタイプ、それがわたしです。高校受験の際、美術の実技試験があり、スケッチの対象として配られた「おたま」の底にバーコードの値札がついていて、静まり返った試験会場で「あの~、値札はとっていいですかぁ?」とわたしは質問したのでした。「なんで、わざわざあんな緊張した場面でどうでもいいことを訊くんだろう」と思ったと、卒業間近に親しくもない男子から言われて、赤面したものです。

そんなわたしですが、遅刻をしたり、忘れ物をしたりするたび、「っていうかぁ~」とすぐに言い訳をするので、近ごろ、ただの女王から「言い訳の女王」という称号に昇格(降格)した模様です。

ところで最近、京都の信号機の「青」に蜂が大量にひっついている、というニュース映像を見ました。それから先日、友人の家ではアリが大量発生したそうです。今は「そういう季節」なんでしょうね。

そんな季節におすすめなのが、女王蟻、女王蜂を中心とした巣の生態や虫とひととの交流などを描いたマンガ『虫けら様』(秋山亜由子著・青林工藝舎)。虫けら様 虫たちの、世代をこえた壮大なドラマと、はかなさ美しさ残酷さがつまっています。杉浦日向子さんを彷彿とさせるタッチと、ハウス名作劇場のような感動の旅物語が融合したような・・・そのうちジブリで映画化してもらえないものでしょうか。ページによってはぎょっとさせられる描写(虫がぞろぞろいるものですから・・)もあるのですが、秋山さんは「とにかく小さいものが好きだから虫を描いている」そうで、なるほど、読んでいるとミニチュアの置物やひな道具を眺めている気分にもなります。何年か前、わたしは天井の角でクモが脱皮するのを目撃したのですが、スケルトンな抜け殻の小ささ、美しさといったら・・・・。とかいいながら、蚊の季節、そして黒い例のものが出没するころには「むきーっ」となるんでしょうけれど。

※今日のマンガのタイトルは「いけず」です。京都ではよく使う言葉ですが全国的にはどうなんでしょう?本当に意地悪なひとを指した表現というよりは、「もう、いけずなんやからぁ」と笑いながら言う感じが好きです。

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なんでもない。

21 ここのところドタバタしているわたしですが、仕事の波が時期によってよせたり引いたり、そのバランスがとても悪いのは毎年のことです。というか・・・そもそも、この忙しさって、資料や途中の原稿をソファに置いたり冷蔵庫の上に積み重ねていて紛失、または風で飛ばす、踏みつけるなどしてダメにするとか、ケーブルに足をひっかけ筆洗をこぼし、濡れたじゅうたんを拭いて、そのタオルを洗濯、というような雑用に追われるせいなんですよね。

通販で買った米国製「テーブルメイト」は18通りの高さ・角度調整ができてすぐに折り畳めるというので、大いに期待して購入したのですが、うちのソファには床との隙間がなく、「テーブルがスムーズに引き寄せられる」というテレビ通りにはならず、天板の縁に盛り上がりがあるので消しゴムのカスが溜まります。そして今日、なにげに膝があたった勢いでテーブルの上に絵の具一式が載ったまま、ワンタッチで折り畳まれてしまいました。テーブルメイト(机友だち)とはよく言ったものです。いえ、わたしは気に入っています。

さて、そんな今日このごろ、休憩時間にコーヒーと共に楽しんでいるのが、近所の書店の棚に一巻につき2冊、計4冊ひっそり置いてあった、山川直人さんの『コーヒーもう一杯』(株エンターブレイン)。ボブディランの曲からつけたタイトルらしいですが、何というかこの本、まさにコーヒーの香りのように、感情や記憶のなにかがふわ~っと立ちのぼる一冊です。空間や構図を生かすというよりは、スクリーントーンなしでひとコマひとコマにびっしりいろんなものが書き込まれていて、子どもの頃の「押入れ部屋」とか公園の「土管」の中で過ごした時間とかほの暗さなんかを思い出します。なんかいいよなぁ、としみじみ読み返していると、挟んであったアンケートハガキが出てきたのですが、それが・・・作者による手描きなんです。もちろん印刷ではあるんですが、「郵便はがき」の文字や番号も手描き文字、切手を貼る部分にはコーヒーカップのシルエット、裏面のアンケート部分はカウンターに腰掛けた客が振り返ってフキダシ部分に書き込むようになっている、という丁寧なものなんです。なんかこのはがき一枚で、世界があるんですよね。

本の高さ3分の2を占めている帯(ここにも畳の部屋のちゃぶ台、レコードプレーヤー、座布団などが細かく描いてある)には〈時に甘く、時にほろにがい「毎日」へ。漫画界の吟遊詩人が贈る、カップ一杯分の温もりにも似た、コーヒーを巡る物語たち。〉というコピーが。裏面には同じ出版社から『エマ』が出ている森薫さんや『夕凪の街 桜の国』のこうの史代さんの推薦文もあります。ああ、三巻が読みたい。そして自家焙煎の店のおいしいコーヒーが飲みたい。あと、これを書いていてなぜか猛烈に、鉄棒やのぼり棒の鉄錆びのにおいをかぎたくなってきました。コーヒーもう一杯(1) コーヒーもう一杯 II (2)

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コーチングって?

1k ここ最近、ビジネス本のタイトルでよく目にするコーチングという言葉。それってなんじゃらほい、と思っていたのですが、たとえば「こうなったのは、どうしてかな?」「じゃぁ、そうしないためには今後どうしたらいいと思う?」など、質問を出して相手の答え(考え)を導き出す方法だそうで、実際に電話でコーチングをする商売もあるようです。まぁ、悩み相談室の「自力解決版」とでもいいますか・・

これ、ほとんどの人が親子間や会社内、友人同士で無意識にやっていることらしく、わたしも昔、バイト先の先輩に質問形式で指導された経験があります(問い詰められているような気がして、ちぢこまっていた記憶が・・)。

さて、数あるコーチング書のなかでも異色なのが、『イッセー尾形の人生コーチング』イッセー尾形の人生コーチング 。本書はイッセーさんとともに長年ひとり芝居を作り続けている演出家・森田雄三さんによる演劇ワークショップから、人生のピンチや孤独を感じる場面で生かせる発想を抜き出した「ヒント本」のようなもの。

わたしも何度か見学したのですが、このワークショップ、演劇には縁のない参加者がほとんどで、とにかく目からうろこの時間なのです。「じゃ、あなたが苦手な人になって、あなたに仕事を教えているところをやって」と、森田さんが前置きなしに参加者にいきなりふるんです。で、ねちねちくどくど喋る上司、ぶりっこ口調なのにトゲがある先輩など、いざ再現しようとすると、案外、具体的な中味が出てこない・・・「その人はあなたのために怒っていた可能性もあるの」「その人を馬鹿にしないで、もっとちゃんと内容を思い出して」と森田さんから言われるうちに・・・口をついて出るのは、思いがけないひと言だったりする。本人には嫌な思い出だったのが、人前で再現すると「くすっ」と笑いまでとってしまう。「あのこわい先輩は、案外不器用な人だったのかも」とか、「口うるさい親戚の叔父さん、結構お人よしだったんだな」と、逆転してゆくのです(だからって、苦手な人を好きにはなれないんですけど)

他人のことが違って見えると、こんど、自分のことも「えっ、わたしってただの・・自意識過剰?」と思えてきて・・・世間との摩擦で苦しむ気持ちがほぐれてゆきます。

誰かに助けてもらったり教えてもらおうとすると、甘えが出たり思い通りの答えがもらえずもやもやするのですが、誰も助けてはくれなくても、誰かと関ることで自分ひとりでは気付かなかった何かがひょっこり見えてくる・・ということで充分というか、それでこそ人との関りは面白いのかもしれません。

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うさ子とクマ太郎。

1bたとえばデザインの仕事で、ウサギとクマのキャラクターを作る場合、ほぼ、「うさ子ちゃんとクマ太郎」的な、男女の振り分けにしていますが、考えてみたら、イソップ童話の「うさぎとかめ」は男同士なんですよね。動物キャラの男女区別がパターン化されたのって、やっぱりサンリオグッズあたりからなのでしょうか・・・。

子ども時代、わたしは女子文化にすんなりなじむことができず、小4のクラスで折り紙部か相撲部のどちらかに入らなくてはいけなかった(極端ですが)ときも、砂場ではっけよいの方を選んだくらいなので、教室でしずしずと折り紙をたしなむ女子たちがとても可憐に見えました。彼女らが、「うさ子」や「リス代」、「ネコ美」だとしたら、相撲部の3人女子はクマ代、キリン子サル江という面々と言いましょうか・・・。

小中学校時代、女子に人気があるのは今で言う「エビちゃん」みたいな人形っぽい顔でしたが、男子はというと、ちょっと変化球の好みを持っていて、ツリ目も「色っぽい」と見るし、無愛想も「アンニュイ」と評価する、というような・・多様性がありました。だから、ある部分では男子の方がおおらかな目を持っているんじゃないだろうか、と思ったものです。

大人になったものの、やはり女子文化にはまだ違和感があり、マニキュアや口紅にはほとんど縁がありません。いつも唇の皮、めくれていますし。なので女性作家のエッセイやコラムを読んでいて色恋沙汰の思わせぶりな記述があったりすると、「あー、うさ子やリス代が大人になるとこうなるのか」とこそばゆくなってしまいます。フリースの上下で日々を過ごす、現在自称「オットセイ子」のわたしには、まぶしすぎて・・・。

そんなとき、長嶋有さんや佐藤正午さんのエッセイを読むと、「ああ、男子だよなぁ」とホッとします。それも、トラ太とかヒョウ吉みたいな、近寄ると食べられそうな男子じゃなくて、やぎ男くんやうさ男さんと呼びたい親しみやすさといいますか・・。

ちなみに、動物キャラとジェンダー問題(?)にとらわれる私の固い頭をほぐしてくれるのがフジモトマサルさんのマンガ。文学好きのライオン、「~なのよ」などオネェ言葉のセイウチ、などなど絶妙なキャスティングです。 象を洗ういろんな気持ちが本当の気持ちいきもののすべて

*追伸 歌手のスガシカオさんも、きっと優しい人なんでしょうね。「鹿男」くんだけに・・・

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家族というストレス。

Q 今日から三月。いよいよ今月で団塊世代の方の多くが定年を迎えられるんですよね。今後、図書館や平日のミスドでそんな方たちとお会いすることもあるのかもしれません

「体調が悪いのだけれど、検査をしても異常はなくて・・そういえば夫が定年後、家で過ごすようになってからだわ」という女性や、家で居場所がなく、家事を手伝ってみても「そんなこともできないの」と妻に邪険にされてストレスを感じる・・という男性に、この時期おすすめなのが、『新・主人在宅ストレス症候群』(双葉社刊)という本。大阪の心療内科の先生が、家族内でのストレスが原因で体調を崩したり「うつ」になった方を診察した中からいくつも事例を挙げておられます(わたしは、その本でいろんな夫婦の形を四コマに描いています)

                    新・主人在宅ストレス症候群

「○○在宅ストレス」という言葉ですが、わたしにとっての○○にあてはまるのは何かなぁ、と考えると、長年悩まされてきた実家の「ネ××」ですかね。実家でテレビを見ていると、こたつの周りをテケテケ・・と小さなものが走るんです。見た目はかわいらしい赤ちゃんだったりもするんですけど、そのかわいさが逆に怖い。うちの母は「ネー子ちゃん」などと呼んでいましたが、わたしはそこまで割り切れず・・最近まで実家に泊まっても、夜中にトイレに行くの怖かったです(今、ノラ猫が庭に出入りするようになって、ネの方々は宿替えをしたようです)

さて、70を過ぎてから公募生活にはまっている父が、童画の賞をもらったというので、その授賞式に、ちかぢかわたしも同行することにしました。よさそうな温泉宿を探し、二名一室でネット予約したものの、備考欄に「親子です」と書くのもなぁと思い、何も触れていませんが・・怪しげな二人に見えぬよう、「お父さんってばぁ」と必要以上に旅館で声を張り上げそうです。

*家族間でのストレスや孤独、熟年離婚を扱った作品といえば、近藤ようこさんのマンガ『ルームメイト』小学館文庫①~③もおすすめです(独身女性の実家との葛藤や再婚同士の苦悩、高齢者カップルなど、リアルで、ジーンときます)。

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