ぬきんでる。

Hanihani4 絵本や自叙伝などの自費出版をした人が、出版社を相手に訴訟を起こしたというニュース。

当初の「全国有名書店に並びます」という宣伝文句とは違って、実際にはどの書店にも置いてもらえなかった(営業をしてもらえなかった)点が問題になっているとか。なんでも、個人の自己負担金は100万を越えているそうです。

そもそも、商業出版の新刊でも数週間以内に書店から返本されるようですし、有名作家の本が店頭で見つからないことも多々ある昨今、書店に並んだとしても、よほどのことがない限り、客の目に留まる→手にとる→買う、に至らないような気がします。

ところで、友人の甥っ子が、ジブリやディズニーではなく、とかく自分の映っているビデオ(DVD)ばかり見たがる「自分好き」なのだとか。ホームビデオ片手にわが子を撮るべく運動会で場所取りをする親も同じだと思うのですが、ひとは基本的に、自分や身内にしか興味を持たない(よその家のアルバムやビデオを熱心に見るひとはいない)ものなんですね。

たとえば、自費出版をする方は、日頃、他の自費出版の本に興味を持ったり読んだりしておられるのでしょうか。ふと、そんな疑問が・・・

自費出版の詩集や絵本など、これまでわたしが買ったのは、個展会場や古書店、フリマなどで目にして気に入って、というのが多いです。以前、「淀屋橋ゴッホ」という画家の作品を3千円で買ったのは、橋の上でした。後でネット検索して知ったことですが、橋の周辺に暮し、橋の上をギャラリーにしているというホームレス画家は、地元ではかなり有名なひとのようでした。

表現をするなら、大手の会社のお墨付きに頼らず、自力で売場を見つけた方が早いのじゃないかなぁ、とか、誰もが作り手になりたがるより、同時に客として市場を支える(質を落とさないためにいいものを選んで買う)ことも大事なんじゃないかなぁ・・などと、偽装ミンチ肉の社長が「こうなったのは、もともと安いのを求める消費者が悪い・・」とぼやいたのを、少しだけ頷く気持ちで思い出しつつ、考えてしまいました。もちろん、自戒も含めて。

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ゐろいろあって・・ゴミ屋敷。

1c 去年観た、映画『嫌われ松子の一生』で、晩年の松子はアパートの一室でゴミに埋もれて暮していました。ゴミ屋敷騒動は全国で増えている(のか、報道される数が増えただけなのか)ようで、テレビで取り上げているのをよく見ます。

ゴミ屋敷(と呼ぶのは第三者で、当人はゴミとは思っていないわけですが)の主は物を捨てない代わりに、人付き合いや社会生活を一切がっさい捨ててしまったように見えます。悪臭や倒壊の危険を近所に与えているという現実面はさておき、この問題、ちょっと他人ごとに思えないのです。

ものを捨てるには、結構なエネルギーと冷酷さが必要なものです。お守りはゴミ箱ではなく神社に返さねばならないし、ぬいぐるみはなかなか捨てられない。きれいな包装紙はまた、いつか何かに使えるかもしれない。枯れた鉢植えの処遇に困り、瓶詰め食品は食べきらないまま冷蔵庫で冬眠中で、古い電化製品に限って長持ちして・・・。

インテリアの雑誌などで自宅を披露している人(夫婦も独身も)って、決まってシンプルでナチュラルな雰囲気をまとっておられます。すっきり、好みのテイストで統一された空間。無駄のない暮し。でも、その生活って、膨大なものを排除しなければ成り立たないように思うのです。趣味に合わないもらいものはどうしているのか、いつも気になります。テレビやファックスなど日常使うものも「見た目が悪い」からと収納してしまうような家庭では、同居のおばあちゃんの部屋だけが歴史民俗館みたいに生活感ごと密閉保存されていたりして・・・。

今の世の中、外へ一歩出ると、いえ、家にいても、物は埃と同じで際限なくやってくるものです。よほど徹底しないと、「捨てるか残すか保留」の物件が山積みになってしまう。

あのゴミの山は、わたしがこれまで捨ててきたものたちが、実は消えてなくなるわけでなくてこんなに積もっていた、と目の前にかたちとして現れた状態ではないかなと思ったりします。甘いものを食べ過ぎたら口内炎ができるような・・・工場からの煙や自動車の排気ガスで光化学スモッグが発生するような。もちろん、当事者(近所)の方にはたまらないものですが・・・でも、何と言っていいのか、あのニュースは、今までの人生で捨ててきたものたち、軽んじてきたものたちを思い出すきっかけになるんです、いつも。

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ついに絵馬にも個人情報保護法。

                                    今日は、いろはにほ1a四コマをお休みして、番外編です。

先日、ワイドショー番組で、サロンパスみたいにシールを貼られた絵馬の様子を放送していました。個人情報保護法にもとづき、最近になってその神社では自主的に、願いごとや住所氏名を書いた部分に保護シールを用意することになったそうで、利用する人も結構多いとか。

わたし、もともと神社では絵馬をながめて世間の今を知る機会にしていたので、そのニュースには少なからず衝撃を受けました。もしかしたらそのうち七夕の短冊も、シールで隠されてしまうかもしれません。お墓も、何々家の墓、だとか、何月何日没、という情報がかくされて石だけになったりして・・・

よく、風呂場をのぞかれたらどこを隠すか、という問いに「カラダより顔」とこたえる人が多いように、絵馬だって、住所や名前を書かなきゃ別に、願いごと部分は堂々と書けばいいと思うのですが・・。とはいえ、たまに重い病気や深刻な悩みをつづった絵馬を見て、弱みにつけこんで商売をする輩がいなけりゃいいけど、と心配になっていたので、シールもやむなしなのかなぁと。

さて、個人情報といえば、妙にどきっとするのが、図書館で借りた本に、前の人が抜き忘れた貸し出し情報(レシートの用紙)が残っているときです。その人が何を借りたかが一目瞭然。「女が離婚を考えるとき」だとか、「死の準備」という書名があったときは、誰とは特定できないにせよ、よそ様の生活を覗き見したような申し訳ない気分になります。一度、個展の案内ハガキが挟まっていたことがあり、宛名(本を借りた人でしょう)は素敵な名前の女性になっていて、わたし、この土地へ来て間もないころだったので「同業者かもしれないし、友達になりたいなぁ・・」などと危険な願望をうっかり持ちそうになったのでした。その後、そのハガキをもう一度ポストへ投函したのか、それとも個展の時期からかなり月日が経っていたので処分したのか・・・覚えていませんが。どうか気をつけましょう。

*今回の四コマのキャラたちは、別件のお仕事から生まれたものです。彼らが登場する媒体については後日また、どこかでお知らせします。

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