みえないところで何かが・・・

42おたまじゃくしや小魚が空から降ってきた、という謎がここ数日、話題になっているようですが・・・・「この件は、原因を追究しないで謎を残したままの方がロマンチックでいいですね」とテレビで発言するコメンテーターやキャスターさんが多いように思います。

わたしにとって、一ヶ月半ほど前から謎なのが、右足の甲の「熱」です。ある日、ソニープラザで雑貨を見ていたら突然、右足の甲に「じわ~」っと、そこだけ発熱しているような違和感をおぼえたのが最初で、以来、ほぼ毎日のように、じわじわ~・・とカイロを貼ったように一箇所だけが熱い「気がする」(触ると、皮膚表面はさほど熱くない・・)という現象が頻発。右足に何者かが何かのメッセージを送ってきているのか?目に見えない何者かがその部分を触っているのか?と考えたりもしますが・・・

そう思っていたら、ここ一週間ほど、左足にも異変が・・・。座っていて振動を感じたので、「メールが来たのかな」と床に置いた携帯を開けてみると勘違い。それでも床の振動(マナーモードのような)を感知するたびに同じことを繰り返し・・・昨日、その振動が左足から発生しているのに気づきました。まぁ、どちらも「気のせい」で話が終わるレベルなんでしょうが・・不思議。

ところで謎を知りたいといえば、海外のマジシャンで、ハンバーガーショップのメニュー看板からハンバーガーを取り出して食べて、それをまた看板に戻すというマジックをする方がおられますが、あの仕掛けは一体どうなっているのか、死ぬ間際でいいのでこっそり教えて欲しいです。

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ふ~ん・・・

33京都の姉から頼まれて近所へ不織布マスクを買いに行ったところ、こちら関東でも売り切れ・入荷未定の貼り紙が。人気ゲームソフトみたいなことになっていますが・・・なんかインフルエンザより、「なんでこの時期に海外に行ったか」「なぜ海外でマスクを着用しなかったのか」という自己責任論ムードが盛り上がることや、マスクがある日忽然と店頭から消えることなど、「殺気立つ空気」の方がなんとなくこわいです・・。

インフルエンザの感染が警戒されている今、わたしは水虫の症状で、むずむずしております。それを表明した途端、そばにいた友人がそわそわしはじめたのを見ると、インフルエンザに感染したひとは隔離されたり過去にさかのぼって濃厚接触の可能性を洗い出されたりと、つらい思いをしているはず・・・。しかし・・わたしの場合、足にマスクはできないなぁ、困った・・・と思いきや五本指靴下があるのでした。よそさまにうつさないため、そして他の指にうつさぬよう、親指だけ隔離中です。自分の身体のなかにあるのに、左足親指だけが被害者であり悪者でもあるアンビバレントな状態。体験しながらいろいろ考えさせられます・・・

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わずかな光が・・

13朝日新聞の歌壇欄で、ホームレスの方からの投稿作品が何度か入選、掲載になったものの、応募はがきに住所が記されていないため、投稿謝礼や彼への応援の声を届けることができず、編集部が2月16日付の朝刊誌上の記事で「連絡求ム」と呼びかけたそうです。

すると、その記事にこたえる形で、「返歌」が投稿されてきたらしく、3月9日付朝刊の歌壇欄で、4名の選者のうち3名に二首選ばれて掲載されていました。

そのひとつが、

「ホームレス歌人の記事を他人事(ひとごと)のやうに読めども涙零(こぼ)しぬ」(朝日新聞3・6朝刊11面より)

でした。他にも社会面には選外作品の、

「名も知らぬブラジル人のその後(のち)を想ひて今朝の寒さに耐へる」

「我が上は語らぬ汝(な)の上訊かぬ梅の香に充(み)つ夜の公園」

が紹介されていました。

歌壇欄では、多くの投稿者が名前のあとに(金沢市)(東京都)などと表記されているのに対して、その方は(ホームレス)となっています。

ここ数ヶ月で静かな反響が広がっているようで、彼への応援歌も投稿作の中に多いようですが、遅ればせながらわたしも3月9日にはじめて知り、歌自身がもつ静かな引力を感じました。また、脚光を浴びているホームレス歌人ばかりでなく、他の投稿者にもそれぞれ窺い知れぬ生活があり、その中で日々を暮らしながら目の前のできごとを歌や句にしているのだろうなぁ、とも。縁のない土地の見知らぬひとの作品を見ながらそんなことを。

このところ新聞を開いても広告ばかりが目立って、記事にそっくりなレイアウトの全面広告も増えているし、なんだかなぁ・・と思っていたのですが、隅々まで読まずに決めつけていたのかもしれません。新聞のよさって、道端の野の花のような、見つけるとほのかにじんわりくる記事があったりするところだったな、と。

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ぬきんでる。

Hanihani4 絵本や自叙伝などの自費出版をした人が、出版社を相手に訴訟を起こしたというニュース。

当初の「全国有名書店に並びます」という宣伝文句とは違って、実際にはどの書店にも置いてもらえなかった(営業をしてもらえなかった)点が問題になっているとか。なんでも、個人の自己負担金は100万を越えているそうです。

そもそも、商業出版の新刊でも数週間以内に書店から返本されるようですし、有名作家の本が店頭で見つからないことも多々ある昨今、書店に並んだとしても、よほどのことがない限り、客の目に留まる→手にとる→買う、に至らないような気がします。

ところで、友人の甥っ子が、ジブリやディズニーではなく、とかく自分の映っているビデオ(DVD)ばかり見たがる「自分好き」なのだとか。ホームビデオ片手にわが子を撮るべく運動会で場所取りをする親も同じだと思うのですが、ひとは基本的に、自分や身内にしか興味を持たない(よその家のアルバムやビデオを熱心に見るひとはいない)ものなんですね。

たとえば、自費出版をする方は、日頃、他の自費出版の本に興味を持ったり読んだりしておられるのでしょうか。ふと、そんな疑問が・・・

自費出版の詩集や絵本など、これまでわたしが買ったのは、個展会場や古書店、フリマなどで目にして気に入って、というのが多いです。以前、「淀屋橋ゴッホ」という画家の作品を3千円で買ったのは、橋の上でした。後でネット検索して知ったことですが、橋の周辺に暮し、橋の上をギャラリーにしているというホームレス画家は、地元ではかなり有名なひとのようでした。

表現をするなら、大手の会社のお墨付きに頼らず、自力で売場を見つけた方が早いのじゃないかなぁ、とか、誰もが作り手になりたがるより、同時に客として市場を支える(質を落とさないためにいいものを選んで買う)ことも大事なんじゃないかなぁ・・などと、偽装ミンチ肉の社長が「こうなったのは、もともと安いのを求める消費者が悪い・・」とぼやいたのを、少しだけ頷く気持ちで思い出しつつ、考えてしまいました。もちろん、自戒も含めて。

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ゐろいろあって・・ゴミ屋敷。

1c 去年観た、映画『嫌われ松子の一生』で、晩年の松子はアパートの一室でゴミに埋もれて暮していました。ゴミ屋敷騒動は全国で増えている(のか、報道される数が増えただけなのか)ようで、テレビで取り上げているのをよく見ます。

ゴミ屋敷(と呼ぶのは第三者で、当人はゴミとは思っていないわけですが)の主は物を捨てない代わりに、人付き合いや社会生活を一切がっさい捨ててしまったように見えます。悪臭や倒壊の危険を近所に与えているという現実面はさておき、この問題、ちょっと他人ごとに思えないのです。

ものを捨てるには、結構なエネルギーと冷酷さが必要なものです。お守りはゴミ箱ではなく神社に返さねばならないし、ぬいぐるみはなかなか捨てられない。きれいな包装紙はまた、いつか何かに使えるかもしれない。枯れた鉢植えの処遇に困り、瓶詰め食品は食べきらないまま冷蔵庫で冬眠中で、古い電化製品に限って長持ちして・・・。

インテリアの雑誌などで自宅を披露している人(夫婦も独身も)って、決まってシンプルでナチュラルな雰囲気をまとっておられます。すっきり、好みのテイストで統一された空間。無駄のない暮し。でも、その生活って、膨大なものを排除しなければ成り立たないように思うのです。趣味に合わないもらいものはどうしているのか、いつも気になります。テレビやファックスなど日常使うものも「見た目が悪い」からと収納してしまうような家庭では、同居のおばあちゃんの部屋だけが歴史民俗館みたいに生活感ごと密閉保存されていたりして・・・。

今の世の中、外へ一歩出ると、いえ、家にいても、物は埃と同じで際限なくやってくるものです。よほど徹底しないと、「捨てるか残すか保留」の物件が山積みになってしまう。

あのゴミの山は、わたしがこれまで捨ててきたものたちが、実は消えてなくなるわけでなくてこんなに積もっていた、と目の前にかたちとして現れた状態ではないかなと思ったりします。甘いものを食べ過ぎたら口内炎ができるような・・・工場からの煙や自動車の排気ガスで光化学スモッグが発生するような。もちろん、当事者(近所)の方にはたまらないものですが・・・でも、何と言っていいのか、あのニュースは、今までの人生で捨ててきたものたち、軽んじてきたものたちを思い出すきっかけになるんです、いつも。

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ついに絵馬にも個人情報保護法。

                                    今日は、いろはにほ1a四コマをお休みして、番外編です。

先日、ワイドショー番組で、サロンパスみたいにシールを貼られた絵馬の様子を放送していました。個人情報保護法にもとづき、最近になってその神社では自主的に、願いごとや住所氏名を書いた部分に保護シールを用意することになったそうで、利用する人も結構多いとか。

わたし、もともと神社では絵馬をながめて世間の今を知る機会にしていたので、そのニュースには少なからず衝撃を受けました。もしかしたらそのうち七夕の短冊も、シールで隠されてしまうかもしれません。お墓も、何々家の墓、だとか、何月何日没、という情報がかくされて石だけになったりして・・・

よく、風呂場をのぞかれたらどこを隠すか、という問いに「カラダより顔」とこたえる人が多いように、絵馬だって、住所や名前を書かなきゃ別に、願いごと部分は堂々と書けばいいと思うのですが・・。とはいえ、たまに重い病気や深刻な悩みをつづった絵馬を見て、弱みにつけこんで商売をする輩がいなけりゃいいけど、と心配になっていたので、シールもやむなしなのかなぁと。

さて、個人情報といえば、妙にどきっとするのが、図書館で借りた本に、前の人が抜き忘れた貸し出し情報(レシートの用紙)が残っているときです。その人が何を借りたかが一目瞭然。「女が離婚を考えるとき」だとか、「死の準備」という書名があったときは、誰とは特定できないにせよ、よそ様の生活を覗き見したような申し訳ない気分になります。一度、個展の案内ハガキが挟まっていたことがあり、宛名(本を借りた人でしょう)は素敵な名前の女性になっていて、わたし、この土地へ来て間もないころだったので「同業者かもしれないし、友達になりたいなぁ・・」などと危険な願望をうっかり持ちそうになったのでした。その後、そのハガキをもう一度ポストへ投函したのか、それとも個展の時期からかなり月日が経っていたので処分したのか・・・覚えていませんが。どうか気をつけましょう。

*今回の四コマのキャラたちは、別件のお仕事から生まれたものです。彼らが登場する媒体については後日また、どこかでお知らせします。

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