またまた昭和ノスタルジィ⑤

Ibutu5鎌倉時代(わたしが鎌倉に住んでいた年月のことです) に気になっていた店のひとつがボタン屋さんでした。

表に見本品が展示してあって、アンパンマンや食パンマン、キノコや飛行機モチーフなど、かわいいボタンが並んでいた中で、小坊主さんのボタンを欲しくて店のひとに声をかけると、「ああ、はい。これしかないですけどいいですか。じゃぁ・・・ブチッ」と、展示品だと思ったボタンが売り物だったのでした。

あるとき、遠くから見たら店の表に「戌子」という文字があって、近付いてみると古布のクルミボタンが「そのような配列」で台紙にとまっていました。これを見つけたのは今年の一月。今年はネズミ年で確かに「子」ですが、去年はいのししなので「亥」、でもどう見ても「いぬ・ねずみ」なんですよね。台紙には、ボタンを縫い付けた穴が規則正しくは空いていないので、やはり店の方が意図的に作られたようなのですが・・・・それからわたしは店の前を通るたびに不思議な干支文字を眺めていたのでした。

ここ数年は「ユザワヤ」に行くことが多いですが、手芸材料ではなく文具や画材を見ることがほとんどで、しかも商品が多すぎて結局見るだけでお腹いっぱいになるのですが、小学生の頃は手芸関係といえば一坪ほどの個人のお店に勇気をふるって買い物に出かけたものでした。店主の視線に緊張しながらおこずかいの範囲で欲しいものを選んだあの小さな世界、懐かしいです。ああいう店の主人に今も憧れてます。

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またまた昭和ノスタルジィ④

Ibutu4 以前、劇団本谷有希子公演『遍路』を観に行って、面白かったのは、女優になろうと上京して劇団に入った女性が、八年ほど経ってその夢を諦めて実家に帰ろうとするものの、「サティで福袋を買ってくる」程度で盛り上がっている従姉妹らに納得がいかず、『エンタの神様』で大爆笑している親戚たちにイラつくところでした(記憶で書いたので正確なじゃないと思いますが)

その本谷さんが雑誌のインタビューで話しておられたのが、小学生時代からの自分のキャラ変遷。集団の中でやり過ごすための居場所確保というか、思春期特有の自意識との格闘というか、キャラの違いで周囲や自分の立ち位置がどう変わるかの実験というか・・~時代、~時代、と客観的に振り返る態度がなんとも痛快でした。そこまで意識的でないにせよ、まぁ誰しも相手や場所によってキャラが変わる(変えようとする)ものなのかもしれません。わたしの場合、初期設定では、教室で手の甲ばかりを見ているようなおとなしい子どもでした。右手の合谷(ごうこく)というツボの位置と左手小指の付け根から数センチ下にあるホクロが友だち(正確には手の甲に飼っているペットのような感覚です)という記憶です。先日ふと、そのホクロが随分影が薄い存在になっているのに気付きました。色素が抜けたのと手が大きくなったこともあるのでしょうが、確かに孤独なときの「頼みの綱」だったホクロに違いなく・・・。一貫性のないわたしの過去と今を結ぶ証拠物件として、現代遺物に登録します。

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おー、昭和ノスタルジィ③

Ibutu3 今日は久しぶりに一日自由に出歩いて過ごそうと思っていたのに雨降りで、そもそも起床時から低気圧のせいか寝違えたせいか頭が重くて、出かける気持ちがくじけてしまいました。四方八方に別れてゆく流氷のごとく、こなごなになったわたしの休日・・・。

せめて駅前の本屋さんに『板尾日記』を見に行こうかと思っています。本屋さんといえば、最近はカバーのみで袋をもらわないことが多くて気付かなかったのですが、先日久しぶりに袋をもらって雑誌を取り出すと中にはがきを見つけました。結婚情報サービスのはがき・・・これ、随分前から入っていますが、まだ入っているんですね。

幼稚園のころから、恋愛(妄想も含めて)や異性との付き合いに積極的なひとがいて、そうでないひともいて、ひたすらわが道をゆくひともいて、付和雷同型のわたしはふらふらとどっちつかずだったものですが、「人生ゲーム」で結婚のマス目に来たら必ずコマの車に異性の人形(ピンクとブルーのマッチ棒みたいなやつ)を乗せるのとは違って、今は結婚というマス目を通らず抜け道へよけて進んだり、異性を選ばないひとがいたりもするわけで。今後あのゲームはどうなってゆくんだろうか・・・と気になってネットで検索したら、時代を反映したバリエーションがたくさん出ているようでした。

*広告はがきといえば、マンガ雑誌などの中央にやたら厚い紙のはがきが挟まれて気になったものでした。

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おー、昭和ノスタルジィ②

Ibutu 子供の頃、姉とよく、茶の間でCMソングをハモっていました。とくに、不二家ソフトエクレアというキャラメル菓子のCMソング(名曲です)は、何百回と歌ったものです。仮に今、不意打ちでわたしがくちずさんだとしても、姉はすかさず難しい方の低音パートを受け持ってくれるでしょう。

ところで先ごろ、セルフ式のカフェのテーブルに、チョコを包んでいたらしき銀紙が、金箔みたいにツヤツヤになって残されているのを目にしました。食べ終わった包みを誰かが丁寧に「のした」のでしょう。昔、わたしも一心不乱にキャンディやチョコの包装銀紙のシワを爪でこすったものでした。まぁ、ツヤツヤになったところで何ということもないのですが・・・。

無駄なことに集中することをこれからもやってゆきたいもんだなぁ、それから不二家ソフトエクレアが復刻登場しないもんだろうか、などと思いつつ、このたび銀紙(正確にはシワをのした銀紙)を現代遺物に登録いたします。

*ちなみに、この「ぎんがみ」と似たような響きなのでいつも三段活用のように思い出すのが、ギンガム(チェック)、ギンビス(動物ビスケット)で、こちらも子供の頃に親しんだものたちです。

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おー、昭和ノスタルジィ①

Ibutu2_2 最近、ぼーっとする時間があまりなくて、夜遅くまでひたすら机の前に座っています。そのせいか、軽くひと息ついたときや、ちょっとそこまで出かけたときなどに目にしたものに対して、通常の10倍くらいの感受性が働いて、「おおー」と興奮してしまいます。

特に、自分のセンサーにひっかかる昭和ノスタルジーを発見しては、「現代遺物!」と叫んで心の中でコレクションするのが、にわか趣味になっています。

先日、絵はがきみたいな桜並木を探しに近所を歩いたものの期待したものは見つからず、その代わりに通りがかった駐車場の隅で小さなカラスノエンドウの葉の上をてんとう虫が歩いているのを見ました。その横で群生していたオオイヌフグリ。水色の小さな花は精巧にできたミニチュアのようで、でも、しゃがみこまないと金平糖のようにしか見えません。オオイヌフグリはわたしが最初に親しみをおぼえた花で、通学路の心の友でした。

自分も大人になったし、世の中も猛スピードで変化している今日この頃ですが、こうして道端の野の花を見ると、子供の頃の素朴な感情を追体験することができて、あの頃と今はつながっているんだなぁと、時間経過の実感を得られるような気がします。

ところで、懐かしいこの花、実は明治期にはじめて発見された外来種らしく、日本在来種のイヌフグリを駆逐して今日に至るそうで(タンポポも同じような状態ですね)・・・わたしから見たら不変でも、やっぱり変化しつづけているんですね、この世界は。

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