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けっこう、きてます。

31 またまた体調不良でへばっておりました。

ブログをやっていると、「こんなことやってる時間に筋トレでもヨガでもして体力つけたほうがいいかもなぁ・・」などとしばしば思うわけですが、へばるたびにその思いはつのります。

ああ、もうブログはやめて、当初のようにコピー用紙に書いた新聞を手渡しか郵送で渡すんでもいいかなぁ・・、だったら月1発行でいいし・・と気持ちが固まりかけていたのですが、そういえば、通販をはじめたところなんだった・・と思いとどまりました。

以前のように紙で知り合いに渡すのとブログとの違いは、普通の方法でなら、知り合っても親しくならないか、すれ違うだけだっただけの人、永久に出会わない人と、4コマを通してささいなことで共感できるのが、なんか安心というか、自分と似たようなことを他の人も感じているとすれば心強いなぁと、そんなところですかね。それは、日経BPの『山田君よ聞きたまえ』についても同じで、技術者やビジネスマンの方が見に来られるページだから、本当は自分には縁がないのかもしれないけど、でも、誰もが目にする些細なことでならつながれるかも・・・という一点でやっていると面白いです。

なので、自分が頭が痛いとか飽きたとかでブログの更新を滞ると、はにほさんの生活を途切れさせるみたいで落ち着かないもんですね。だから、休み休みではありますが、もうちょっと4コマは続けてみます。

*通販部門について・・・特に申し込みフォームはないので、メールでお届け先を書いていただければ、発送方法と支払いについてご連絡します。作品が売約済の場合はお許しください。

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コメント

正岡子規を読むたびに、自我について考えます。23歳で喀血し、29歳で生死をさまよい、それ以降は寝たきりとなるのに、評論の仕事をこなし、作品を作り続けている。
毎日、叫ぶような激痛をかかえていたとか。
36歳で没する前日まで、俳句を詠んでいる。口伝ではなく、虫の息ながら、自力で筆を動かしている。
本人の肉体と精神の関係はどうなっていたのだろう。強靭な精神という域を超えているのではないかと思う。
自我という、自分そももの捕らえ方が、根本から違っていた気がしてならない。

投稿 | 2008年4月20日 (日) 20時44分

blogよりコメントに存在感がありました。本物の表現は、時代に関係なく、世代にも関係なく、誰かの内面に打つものがあるんだと思います。正岡子規、また読んでみます。

投稿 | 2008年4月20日 (日) 23時39分

わたしの身近な人間が少し前に生死をさまよったとき、「絵を描きたい、絵の道具を持ってきてほしい」と強く希望した姿を、当人が回復した今も覚えています。徐々に回復して日常を取り戻しつつある当人は今、「描く気がなかなか起こらない」と言っていて、それはそれで面白いのですが。
意識が朦朧とする中、「絵を描きたい」と切望する姿は、わたし自身絵を描くものの「そこまで思うものだろうか」と驚きでした。命をとりとめることがもちろん気になったのですが、なぜかそれよりも、そんな状態にあってもそういう強い思いがあるというのはすごいもんだなぁと、圧倒されました。正岡子規の自我云々の難しい話は分かりませんが、でも、わたしが目にした身内の姿は子規への想像をふくらませてくれるものかもしれません。

投稿 kum | 2008年4月22日 (火) 00時17分

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