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昔はにほさん③

Han3 神経衰弱。小さな子ども相手に遊んで「あげる」場合、手加減をして間違ったカードをめくってくやしがったり、その子どもが連続で正解のペアを当て続けて得意満面になったりすると、本気でふてくされたりしたものでした。

ただ、トランプ遊びの楽しさって、ゲームをはじめるときにカードを配ったり並べたりする緊張感にこそあったのかもしれません。神経衰弱の場合は、カードを裏向きに並べてゆきながら、スペースを作るために座る位置を移動したり「こっちにも置こうか」「そこ、一枚置いて~」などと、ゲームを始めるまでの共同準備作業が、ちょっと嬉しはずかしのコミュニケーションタイムでありました。

そういえば先日、新宿のうどん屋さんで隣に座っていた30前後の男性二人連れの片方が、「俺、昔、トランプで負けたらめちゃめちゃ機嫌悪くなって姉貴に当り散らしてたんだわ・・」と話しているのを小耳にはさんだのでした。

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コメント

四コマは何だか懐かしいなぁー、と思っておりましたら、今日の女の子「指さすポーズ」が、現在は消えてしまったんだと、気がつきました。片手を床に着けたまま指さした自分の過去を、まざまざと思い出しました。
「両手を後ろに組んで寝そべる」とか、「手の甲を腰に当てて怒る」とか、確かに、この漫画には「消えた仕草」がある。

投稿 | 2008年1月 7日 (月) 04時40分

実家で、テレビの調子が悪くて雨が降ったように画面に線が入るので、裏の電気屋さんを呼びました。夕食直後の茶の間に電気店のおじさんが入ってきて、あれこれテレビの配線を見ていたかと思うと、最後にバンバン、と側面をたたいておられました。白い靴下の裏面や、腰に巻いたドライバーなど、子どもの頃に見たナショナル店のおじさんとは別人なのに寸分違わぬように思えました。

それまでの数日、「電気屋さんに来てもらおう」とやいのやいのと家族で大騒ぎしていたくせに、母以外(わたしも含めて)は作業中のおじさんの姿が見えないかのように別のテレビの画面に見入り、お茶などを飲み、そのくせそわそわしていたのでした。そんな、茶の間の「変な間」も久々でした。

投稿 kum | 2008年1月 9日 (水) 01時05分

テレビのなかがブラウン管と真空管だったころは、しょっちゅう修理のおじさんが家にやってきていました。おじさんは、右足がわるく、いつもヘンな座り方をしている人というのが子供ココロに印象に残っています。あるとき、若い男の子を助手につれて、無口なおじさんの後ろで、じっと手つきを見つめていたのを、そのまた後ろからあこがれて見ていたのを思い出しました。
片腕の新聞配達の人とか、障害をもちながらもかっこよく見えた人がいっぱいいたものです。おじさんの記憶が途切れるのは、テレビは修理するものでは買い換えるものになってからなんでしょうね。

投稿 ゆうひ | 2008年1月 9日 (水) 10時28分

修理のおじさんの手つきを見つめる助手のお兄さんのその後ろで、そっと見ている子ども・・という、奥行きのある思い出の光景、いいですね。小説や映画でなくても、こうして他者の断片を見聞きすることでひとは、自分の記憶の引き出しをたぐれて実人生の時間より多く感じられて、お得な気がします。

投稿 kum | 2008年1月 9日 (水) 18時33分

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