耳日記。
ラジオから聞こえてきた「ろくじゅういっさい、ですか。すごーい」という言葉を耳にして、「六汁一菜」って、どんな内容のメニューなんだろ・・・と、味噌汁やスープが6つ並ぶ様子を思い浮かべてしばらくして、「61歳」だということに気付いた。
5月10日
近所の餃子店で突如、オルゴール風のメロディが結構な音量で流れてきて、餃子を焼く時間をはかるタイマーの音(ピピッピピッ・・のかわり)かと思っていたら、壁のからくり時計からのものだった。
これって夜中にも1時、2時、3時・・と音楽は鳴り続けるんですかねぇ、と店主に尋ねたところ「ここで泊るわけじゃないんで分からないですけど・・考えてみたら気になりますね・・夜中、お隣に迷惑をかけていたりしたらねぇ。調べてみようかしら」という返事だった。そういえば兄の家に泊ったとき、リビングの鳩時計が夜中に毎時「ホッホー」と鳴くので気になってスイッチを切らせてもらったことがある。
商店街などにある大きなからくり時計は夜中、どうなっているのだろう。誰かがスイッチを切っている、もしくは自動タイマーで音楽や人形をストップさせているとしたら、それは何時の段階でなのだろう。夜中に出かけて確認しようにも近所にからくり時計は、ない。思い当たる中で一番近いのは横浜そごうの入り口のものだけれど、ネットで調べたら今年の4月で老朽化のため廃止になり、今はただの時計として壁に残っているという。
・・・というような数日だった。
めんぼくないです。
病気のとき、腰痛のとき、そしてなんとなくだるい日、・・・布団の中でごろごろしなければならない場面において、「寝るのもしんどい」という言葉が自分の口からよく出ます。
近所のリラックス雑貨の店で、机にちょっとうつぶせになってお昼寝・・というときの枕が売っていました。横になったり布団に入るとはてしなく寝てしまうわたしには、机の上につっぷして寝る・・という学校の休み時間のようなスタイルが身体のためにはいいのかもしれません。寝すぎは頭痛の原因になるので・・。
2~4月に花粉症対策でも結構お金を使ったので、五月病っぽいからといってアロマだの肩こりツボ押しグッズ、マンガ、花、そのうえ枕まで買ってしまったら、財布がさびしくなりそうです。先日その雑貨店で母の日のためにあれこれ手にとりながら試しながら選んでいる姉妹に目を細めたところなので、自分の体調ばかり気にするってどうかとも思いますし・・
そうこう書いているうちに、なんだかまた、パソコンの危機(画面が突然ホラーなモアレ状になって消えそうになる)がやってきました。時々不調になるけどいつの間にか戻る・・って、妙に人間味のある機械です。
ゆっくり「ため」が必要。
連休最終日、卵を買いに行った足で、本屋さんへ寄って『コーラス』というマンガ雑誌460円を買って来ました。年に1~2度、連載モノだから話が分からないと知りつつもこういうものを買ってしまいます。ちなみに、『コーラス』の執筆陣は、くらもちふさこさん、聖千秋さん、佐野未央子さん、逢坂みえこさんなど、中高生のころ読んでいた漫画家さんがずらり。この雑誌のキャッチフレーズは「少女マンガも大人になる」だそうで・・・
10代20代前半までは大量のおやつも一緒に買ってきたわけですが、今日はハーブティなんぞをマンガの友に選びました。大人になったからではなく、夕食の時間がせまっているからですけど。
昔から試験前や旅行前、出張前など準備をしなければならないときなどに限って落ち着かず、無気力になり、ふらふら出かけて立ち読みの末にマンガ雑誌を買ってきて、お茶をいれてお菓子を用意してクッションや毛布類をセッティングして・・・ともったいつけてから中を開いたものでした。
今日はブログを更新したりなんかして、さらにマンガ雑誌を開くまでの「ため」をもたせているのです(なんのためか、自分でも分からずですが・・)。こうしている間にも休日は終わりに向かい、ということはつまり仕事の締め切りが目前にせまってきているわけで、でもだからこそ、暇つぶしを敢行せねばなりません。
・・しかし空腹で、おちおちマンガを読む気分でないところが今日の計算ミスでした。冒頭に書いた卵というのは、親子丼を食べたくなったので買ったものです。
今日この頃。
連休中の図書館は椅子取りゲーム状態でしたが、わたしも空席を見つけて『天才柳沢教授の生活』を読みふけりました。クールな柳沢教授のある種のずっこけぶりがチャーミングなのと、彼に振り回される人々の不恰好さに人間味を感じてほっとします。
自室では、いがらきみきおさんの『かむろば村へ』①②と青野春秋さんの『俺はまだ本気出してないだけ』①②(ともに、主人公の男のダメっぷりが魅力になっている)と、最近になって大人買いした『はいからさんが通る』をかわりばんこに何度も読みかえしております。
ただいま、毎年恒例の五月病真っ最中。花粉症のあと、ほっとしたら必ずやってくるのがこの、仕事に対する倦怠感です。でも、変化っていうのは、こういうマイナスモードから始まるんでしょう。
あ、そぉ。
最近実家では、なにかというと「相棒、撮ってあるよ」「相棒、DVD借りてきたよ」などという会話を耳にします。本来、母と父の好むドラマ(というか野球が放送されるシーズンは一台は阪神専用に・・・)の系統は違うのですが、この水谷豊さんと寺脇康文さん共演の『相棒』だけは、時おり遊びに来る叔母夫婦も一緒に、茶の間で輪になって楽しんでいる模様です。
あとは、話題の中心はサスペンス劇場。放映の何時間も前からチェックして録画準備したり、放映中には京都が出ると「ここは○○や。よく撮影に使われるんや」とか、「このひとがあやしい」などと口をはさみ、10時頃にお茶をいれたりします。そのくせ、親たちは途中で風呂に入ったり犯人を確かめずに寝たりするので、さして興味がなかったわたしが責任を持って最後まで見届けたりすることも・・・
再放送でしか見たことがないものの、個人的には『赤い霊柩車』シリーズが好きです。葬儀場でバイトしていたのもあって、祭壇なども気になるし、大村崑さんと山村紅葉さんが出ているあたりもポイント高しです。
まぁ、4コマと一緒で「あ、そぉ」な話でした。
・・てゆう、感じで。
あるとき、人気タレントさんのブログで「いつも何万件もアクセスがあるのは自分がタレントだからだろうから、このあいだ匿名で別のブログを開設してみたら、なんと一日36人しか来なかったのですぐやめちゃった」というような記事を読んで「36人しか、ってオイっ・・・」とパソコンの前でツッコんだことがありますが、いま、1年以上続けてみて、ようやく一日30数人に訪問してもらっているらしいこのブログです。
以前、はにほさんを委託販売していたお店では、数ヶ月置いてもらった結果・・・なんと、小鳥(100円)が一羽売れただけでした。それも、わたしの元へ返品するために梱包している最中に売れたのだとか。で、お店の方がしきりに恐縮しておられて、却ってわたしとしては恥ずかしかったりしたものです。でも、そういう「とほほ・・」な話って、好きなんですよね。例えば服をほめられて「これ500円」と安さ自慢するようなもので、「誰がどういうつもりで小鳥を買ったのか?」という謎というか面白さをなんか他のところで使えそうな気がするというか・・・。
ひとが何かを続ける拠り所にするものって、人数とか規模ではなくて、個別の反応なんですね。仕事でも担当者が「いいですね、これ」と反応をひと言くれるだけで次もやる気になるし、家族や友人に「これおいしい!」と言われると料理にも力が入るってな話です。
さて、通信販売をはじめて10日。数名の方からメールで連絡をいただきました。左のマンガはWさんに絵を送ったときの1コマです。
また、Aさんは申し込みの際、「はにほさんがどんなところへ届くがご心配でしょうから・・」とご自身の「おもしろ証明写真」を添付してくれて、Mさんは、はにほさん用の部屋を紙箱で作る(それも職場の机の上で作業している)様子を写真に撮って送ってくれました。また、いつもほのぼのと読書の楽しみを伝えてくれるBさんのサイトでは、はにほさんの写真を載せて紹介してもらいました。http://dokunhon.seesaa.net/
どんな人生でも、自分なりの「喜びポイント」を心にためていければそれでいいんだなぁ・・と、しみじみ縁側気分になったところで仕事に戻りますぅ。
駅で・・・
同じ扉から電車を降りたのはわたしとふたりの男性の計三人。先に降りた50~60代の男性に、後から降りた20代後半くらいの男性がそろそろと近付き、背中をまるめて前のひとの顔を確認しながら「○○○○ですか?」と声をかけていました。しばらく間があったものの年配男性は「△△△△・・・?」と聞き返しながら歩調をゆるめ、それからわたしの通り道をふさいでいると思ったのか、柱の陰に若い人の腕をひいていました。
振り返ると、年配のひとは「なんか、顔が丸くなったような・・でも、面影はあるね」というようなことを自分の頬の横に手を添えて言い、「いや、ずっとそうかなと思っていたんですが・・」というようなことを若い人がこたえていたのでした。
大学のゼミの担当教授か、かつて彼の親の手術を担当した医師か分かりませんが、なんか、いい感じのおふたりでした。
電車に乗っていると、他のひとの再会シーンを目撃することがあって、そういうのって、ちょっと緊張感もあり、居合わせたものとして面映くもあり、でも、時間の流れを感じられるので好きです。
吹聴したくなる・・・
いま、なにかと話題の「せんとくん」。キャラクターの風貌だけに気をとられていて深く考えていなかったのですが、あと2年したら2010年、つまり平城遷都710年から1300年経つ、ということなのですね。とか言いながら、1300年がどのくらいの長さなのが実感が持てないのですが・・・
近ごろ気になっている日経BPTech-On!の中の『思索の副作用』というのコラムに、「ゆるキャラについて考える」という記事が載っていて、興味深く読みました。
童子のキャラの作者へ寄せられたという匿名での批判コメントのキツさとか、なにかあると一斉バッシングになりやすい現代の風潮みたいなものを垣間見るようでぎょっとしたり、なにより「付和雷同な自分」もその一端にいるんだよなぁとどきっとしたりして。はい、わたしも先週、「何あれ」と実家でああだこうだ、さんざん言っていたのでした。
コラムの書き手である仲森さんは4コマやイラストも描かれていて、その線がひょうひょうとしていてチャーミングです。電話中にひょいっと描いた似顔絵、みたいな気軽さなのに味があるというか・・・。よかったら一度のぞいてみてください。ちなみに同じサイトで「山田君よ聞きたまえ」もそろそろ更新になります。http://techon.nikkeibp.co.jp/column/shisaku/
けっこう、きてます。
ブログをやっていると、「こんなことやってる時間に筋トレでもヨガでもして体力つけたほうがいいかもなぁ・・」などとしばしば思うわけですが、へばるたびにその思いはつのります。
ああ、もうブログはやめて、当初のようにコピー用紙に書いた新聞を手渡しか郵送で渡すんでもいいかなぁ・・、だったら月1発行でいいし・・と気持ちが固まりかけていたのですが、そういえば、通販をはじめたところなんだった・・と思いとどまりました。
以前のように紙で知り合いに渡すのとブログとの違いは、普通の方法でなら、知り合っても親しくならないか、すれ違うだけだっただけの人、永久に出会わない人と、4コマを通してささいなことで共感できるのが、なんか安心というか、自分と似たようなことを他の人も感じているとすれば心強いなぁと、そんなところですかね。それは、日経BPの『山田君よ聞きたまえ』についても同じで、技術者やビジネスマンの方が見に来られるページだから、本当は自分には縁がないのかもしれないけど、でも、誰もが目にする些細なことでならつながれるかも・・・という一点でやっていると面白いです。
なので、自分が頭が痛いとか飽きたとかでブログの更新を滞ると、はにほさんの生活を途切れさせるみたいで落ち着かないもんですね。だから、休み休みではありますが、もうちょっと4コマは続けてみます。
*通販部門について・・・特に申し込みフォームはないので、メールでお届け先を書いていただければ、発送方法と支払いについてご連絡します。作品が売約済の場合はお許しください。
結局人の意見に頷いてます・・
書店で、『いやな世の中 自分様の時代』だとか、『「自分」から自由になる沈黙入門』などの本を立て続けに目にしました。
ちょっと前まで「自分探し」とか「自分磨き」というキーワードをさかんに耳にしたのですが、そろそろ流れが変わってきたのでしょうか。
昔から、学校で教育テレビを見た後や社会見学の後などに感想文を書いて提出するのが苦手でした。大学ではディベートで自分の主張がなさすぎると言われ、一度口にした考えをひるがえすことを恥とする不自由さにひえ~っとなったものです。蕎麦屋さんでも、直前まで「○○にする」と口にしていたものを、店員さんが聞きに来たときに別のメニューにかえることもしばしば。
・・てな風に、自分を正当化するためにこんなことをブログにつらつら書く行為そのものが、「自分自分」の証明ですかねぇ。
まぁ、何とかなるでしょう。
平日の午前中に再放送でやっている『暴れん坊将軍』をついつい、見てしまっています。同じようなことの繰り返しのようでいて、実は毎回少しずつ話が進んでいて、なんとなく、「ほのぼのと覗き見している」感覚というか、め組に集まるひとたちに親しみを覚えるんですよね。とくに松金よねこさんや、大岡越前の姪の「千奈津殿」(いつもエンディングで女優さんの名前を見逃してしまうのです)の登場シーンが気に入っています。正体を隠している吉宗をけちょんけちょんにけなすあたりが・・・。
今日は(この記事を書いている日のことです)、いつも吉宗の側についているお庭番(隠密)の美女が、悪事を働くヤカラに攻撃を受けたショックで記憶を失くしてしまい、付近の村で養生することになるのですが、小さな子供と遊ぼうにも、あやとりさえできず、「わたしは一体誰?」と悩むのです。その間、なにかと面倒を見てくれる自称・旗本の「徳田様」が一体何者なのか、自分との関係はどうなのか気になりながら恋心をいだく・・というお話でした。
テレビのニュースを見るときや電車に乗るときなど、普段は感情を半分スリープ状態にして過ごしているものですが、そんなときには「心をむやみにざわつかせず似たような話が延々と続いてゆく(かのような)ドラマ」がすんなり見られるのかもしれません。
ところで水戸黄門の場合は正体を明かした途端に一同がひれ伏すのですが、暴れん坊~の場合、上様だと分かったあとに、立ち回りシーンが始まるんですよね。ちょっと、その違いが気になっています。
うーん。この文章が載る頃、映画村に行っているかもしれません。
またまた昭和ノスタルジィ⑤
鎌倉時代(わたしが鎌倉に住んでいた年月のことです) に気になっていた店のひとつがボタン屋さんでした。
表に見本品が展示してあって、アンパンマンや食パンマン、キノコや飛行機モチーフなど、かわいいボタンが並んでいた中で、小坊主さんのボタンを欲しくて店のひとに声をかけると、「ああ、はい。これしかないですけどいいですか。じゃぁ・・・ブチッ」と、展示品だと思ったボタンが売り物だったのでした。
あるとき、遠くから見たら店の表に「戌子」という文字があって、近付いてみると古布のクルミボタンが「そのような配列」で台紙にとまっていました。これを見つけたのは今年の一月。今年はネズミ年で確かに「子」ですが、去年はいのししなので「亥」、でもどう見ても「いぬ・ねずみ」なんですよね。台紙には、ボタンを縫い付けた穴が規則正しくは空いていないので、やはり店の方が意図的に作られたようなのですが・・・・それからわたしは店の前を通るたびに不思議な干支文字を眺めていたのでした。
ここ数年は「ユザワヤ」に行くことが多いですが、手芸材料ではなく文具や画材を見ることがほとんどで、しかも商品が多すぎて結局見るだけでお腹いっぱいになるのですが、小学生の頃は手芸関係といえば一坪ほどの個人のお店に勇気をふるって買い物に出かけたものでした。店主の視線に緊張しながらおこずかいの範囲で欲しいものを選んだあの小さな世界、懐かしいです。ああいう店の主人に今も憧れてます。
またまた昭和ノスタルジィ④
以前、劇団本谷有希子公演『遍路』を観に行って、面白かったのは、女優になろうと上京して劇団に入った女性が、八年ほど経ってその夢を諦めて実家に帰ろうとするものの、「サティで福袋を買ってくる」程度で盛り上がっている従姉妹らに納得がいかず、『エンタの神様』で大爆笑している親戚たちにイラつくところでした(記憶で書いたので正確なじゃないと思いますが)。
その本谷さんが雑誌のインタビューで話しておられたのが、小学生時代からの自分のキャラ変遷。集団の中でやり過ごすための居場所確保というか、思春期特有の自意識との格闘というか、キャラの違いで周囲や自分の立ち位置がどう変わるかの実験というか・・~時代、~時代、と客観的に振り返る態度がなんとも痛快でした。そこまで意識的でないにせよ、まぁ誰しも相手や場所によってキャラが変わる(変えようとする)ものなのかもしれません。わたしの場合、初期設定では、教室で手の甲ばかりを見ているようなおとなしい子どもでした。右手の合谷(ごうこく)というツボの位置と左手小指の付け根から数センチ下にあるホクロが友だち(正確には手の甲に飼っているペットのような感覚です)という記憶です。先日ふと、そのホクロが随分影が薄い存在になっているのに気付きました。色素が抜けたのと手が大きくなったこともあるのでしょうが、確かに孤独なときの「頼みの綱」だったホクロに違いなく・・・。一貫性のないわたしの過去と今を結ぶ証拠物件として、現代遺物に登録します。
まぁ、そんなわけで。
画面の右のサイドバー(カレンダーやリンクが載っている横の部分)に「通信販売」の項目が増えました。そこをクリックすると、はにほ写真がいろいろ出てきます。こういう機能が備わっているなんて、ブログってすごいですねぇ。
ピンボケ写真が結構面白いので気軽にのぞいてみてください。
もともと、展示会に出すため大量に作った立体作品を見た方から「通販をしませんか?」と声をかけてもらってショッピングサイトの開設を待っていたのですが、先方さんが多忙で話が進まないとのことなので、自己流でやることになったものの・・・商品としての品質に不安な部分がいくつも(水にぬれると白い部分の絵の具がはげるとか、だんだん汚れてくるとか、箸置きは実用性にとぼしいなど)あるので、期間限定で商売っけのない値段にしました(送料込)。写真と現物のイメージが違う場合もどうかお許しください。尚、期間は2008年4月19日~7月末の予定で受付順に対応します(「プロフィール」のメール送信からどうぞ)。
写真はニスを塗る前の箸置きたち。新聞の健康雑貨の広告ページの上で日なたぼっこ中です。ニスを塗ってサンオイルみたいな照りが出たはにほさんの姿は、通販写真のほうでどうぞ。
やってきたブーム。
自分でも理由は分からないのですが、ここ数ヶ月、かんぴょう巻きブームがやって来まして、何日かすると食べたくなります。
最近読んだ、水木しげるさんの次女・悦子さんによるエッセイ『お父ちゃんと私』によると、水木さんは好きな食べ物は毎日、何年も食べ続けるようで、例えばガリガリ君。それまでソーダアイスといえば、表面だけソーダ味で中身がバニラだったりして騙された気になってがっかりしていたらしいのですが、100%ソーダ味の「ガリガリ君」の存在を知ってからは「空色のアイス」と呼んで気に入っているんだとか。あるとき水木さんがセロハンテープのカッター台を指して『この色のアイス買ってこい』と言ったときも、台が空色だったので悦子さんは「ピンと来た」そうで、20代までガリガリ君好きだったわたしとしては嬉しいエピソードでした。同時期に刊行された水木さんの奥さんの『ゲゲゲの女房』の方も読んだのですが、二冊とも「自分自分」には決してならずに、控えめな目線というか、「自分には何のとりえもないからできることをするだけ」と素直に信じて水木さんを尊敬したり「変わっているなぁ」と驚いたりハラハラ見守ったり、やさしさとあたたかさと懐の大きさを感じさせて、ほんと、のんびり温泉につかっている気分になる本です。
で・・・話がそれましたが、かんぴょう巻きの件に戻ります。先日スーパーの鮮魚コーナーにある寿司売場で、買うか買わないか迷いながら(白ご飯が家にあったため)も、とりあえず1パックをカゴに入れたところ、すぐあとに80歳前後のご夫婦がやってきて、奥さんの方がおもむろにそこにあったかんぴょう巻きのパックすべて(四つ)を抱えてご夫婦で「ほっ」とされていたのです。わたしが1パックを先にカゴに確保していなかったら、それも持って行かれたんだろうな・・と。ライバル出現に、かんぴょう巻きブームはさらに熱を帯びそうな模様です。
苦肉の策か本気なのか。
最近、駅前の不動産屋さんの前を通るたび、どきどきします。角地にあって二面がガラス張りになっており、物件情報のシートが並ぶ中、ポスター大の紙に「ここに自転車をとめるな。ガラスを割った場合、弁償してもらいます。100万円」と書かれた太い毛筆の字が、いつも目に入ってくるのです。
駅前で郵便局や商店も近く、同ビル2階が居酒屋で、店舗の前に駐輪するひとが多かったんだろうとは想像できるのですが、それにしても「100万」という金額は本気なのか脅しなのか・・・そしてまた、同じガラス面に貼られた「私たちは真心をこめてお客様のご希望の部屋をご提案します」というようなメッセージにも、素直に受け止められない戸惑いをおぼえるのです。
ファミレスや喫茶店に客として行っているのに出入り口に「アルバイト募集」のポスターが貼られていると「ちょっとなぁ・・・」というあの気持ちを何倍も濃くした戸惑いといいましょうか・・・
昔から月極駐車場で「無断駐車は10万円申し受けます」とかいうのがあって、「ひぇー、こわい」と思っただけに、100万円が燦然と輝いて見えます。わたしは物件情報を見るのが好きなのですが、今後は早足で通り過ぎることにしようかな、と。
さて、日経BPのTech-On!で「山田君よ聞きたまえ」が更新していますので、よかったらまた覗いてください。http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20071001/139911/?P=5
おー、昭和ノスタルジィ③
今日は久しぶりに一日自由に出歩いて過ごそうと思っていたのに雨降りで、そもそも起床時から低気圧のせいか寝違えたせいか頭が重くて、出かける気持ちがくじけてしまいました。四方八方に別れてゆく流氷のごとく、こなごなになったわたしの休日・・・。
せめて駅前の本屋さんに『板尾日記』を見に行こうかと思っています。本屋さんといえば、最近はカバーのみで袋をもらわないことが多くて気付かなかったのですが、先日久しぶりに袋をもらって雑誌を取り出すと中にはがきを見つけました。結婚情報サービスのはがき・・・これ、随分前から入っていますが、まだ入っているんですね。
幼稚園のころから、恋愛(妄想も含めて)や異性との付き合いに積極的なひとがいて、そうでないひともいて、ひたすらわが道をゆくひともいて、付和雷同型のわたしはふらふらとどっちつかずだったものですが、「人生ゲーム」で結婚のマス目に来たら必ずコマの車に異性の人形(ピンクとブルーのマッチ棒みたいなやつ)を乗せるのとは違って、今は結婚というマス目を通らず抜け道へよけて進んだり、異性を選ばないひとがいたりもするわけで。今後あのゲームはどうなってゆくんだろうか・・・と気になってネットで検索したら、時代を反映したバリエーションがたくさん出ているようでした。
*広告はがきといえば、マンガ雑誌などの中央にやたら厚い紙のはがきが挟まれて気になったものでした。
おー、昭和ノスタルジィ②
子供の頃、姉とよく、茶の間でCMソングをハモっていました。とくに、不二家ソフトエクレアというキャラメル菓子のCMソング(名曲です)は、何百回と歌ったものです。仮に今、不意打ちでわたしがくちずさんだとしても、姉はすかさず難しい方の低音パートを受け持ってくれるでしょう。
ところで先ごろ、セルフ式のカフェのテーブルに、チョコを包んでいたらしき銀紙が、金箔みたいにツヤツヤになって残されているのを目にしました。食べ終わった包みを誰かが丁寧に「のした」のでしょう。昔、わたしも一心不乱にキャンディやチョコの包装銀紙のシワを爪でこすったものでした。まぁ、ツヤツヤになったところで何ということもないのですが・・・。
無駄なことに集中することをこれからもやってゆきたいもんだなぁ、それから不二家ソフトエクレアが復刻登場しないもんだろうか、などと思いつつ、このたび銀紙(正確にはシワをのした銀紙)を現代遺物に登録いたします。
*ちなみに、この「ぎんがみ」と似たような響きなのでいつも三段活用のように思い出すのが、ギンガム(チェック)、ギンビス(動物ビスケット)で、こちらも子供の頃に親しんだものたちです。
おー、昭和ノスタルジィ①
最近、ぼーっとする時間があまりなくて、夜遅くまでひたすら机の前に座っています。そのせいか、軽くひと息ついたときや、ちょっとそこまで出かけたときなどに目にしたものに対して、通常の10倍くらいの感受性が働いて、「おおー」と興奮してしまいます。
特に、自分のセンサーにひっかかる昭和ノスタルジーを発見しては、「現代遺物!」と叫んで心の中でコレクションするのが、にわか趣味になっています。
先日、絵はがきみたいな桜並木を探しに近所を歩いたものの期待したものは見つからず、その代わりに通りがかった駐車場の隅で小さなカラスノエンドウの葉の上をてんとう虫が歩いているのを見ました。その横で群生していたオオイヌフグリ。水色の小さな花は精巧にできたミニチュアのようで、でも、しゃがみこまないと金平糖のようにしか見えません。オオイヌフグリはわたしが最初に親しみをおぼえた花で、通学路の心の友でした。
自分も大人になったし、世の中も猛スピードで変化している今日この頃ですが、こうして道端の野の花を見ると、子供の頃の素朴な感情を追体験することができて、あの頃と今はつながっているんだなぁと、時間経過の実感を得られるような気がします。
ところで、懐かしいこの花、実は明治期にはじめて発見された外来種らしく、日本在来種のイヌフグリを駆逐して今日に至るそうで(タンポポも同じような状態ですね)・・・わたしから見たら不変でも、やっぱり変化しつづけているんですね、この世界は。
おー。
パソコンというのは、ボタンを押せばなんでもスイスイ出来そうなイメージとは違って、実際に使ってみると、その「スイスイ」に至るまでの準備段階がおそろしく地味でまどろっこしいものだったりします。
その中で、何年も前からどうしても知りたかった、ある技法(というより手順なのかもしれませんが)。これまでなんどか同業の方や知人に質問してみたものの、かんばしい答えが返ってこず、「たぶん自分の使っているソフトのバージョンが古いから出来ないのだろう」と、諦めムードでした。
それが、先日、思いがけず、知りたかったHOW TOに近いものを取引先のひとから教わりました。お顔も拝見したことのない、声も聞いたことのない名前しか知らない方から・・。あるデザインを制作する過程で、なかなか先方の希望通りの表現にならず、担当者から何度か修正指示があり、最終的には担当者の手で調整してもらったのですが、その時、「ご存知かもしれませんが、念のため、今回こちらで仕上げた方法についてご報告させていただきます」というメールに多くのデータが添付されてきたのでした。
実は、仕事についてメールでやり取りしながら、面識がないだけに、どこか噛み合わないというか、最初から最後までピントがずれた受け答えになっていたのです。でも、その15以上の数のデータを開いていくうちに、そのひとが個人の裁量で懇切丁寧に手法を解説してくれているのがわかって、最後のデータを開くときにはほろっと来てしまいました。教わった描画方法を、早速別の仕事に活用してみたところ、快適です。
仕事としては不完全で迷惑をかけたのですが、わたしにとっては、それが最近いちばん嬉しかった出来事です。関係性とはまた別に、ひとは思いがけないところでひとから救われるものですね。
ノックダウン。
自室でひたすら机の前に座って仕事をして、取引先のひとと電話ではなくメールばかりでやり取りしていると、なんだか自分がルームランナーの上をひたすら走っている感覚になったりするのですが、昨日、仕事で長野新幹線に乗って、駅弁を食べて車窓から上野の桜並木を眺めて、なんだか空を飛んでいるような気分になりました。
空を飛んでいる・・というのは、学生の頃、社会見学などで観光バスで山道をゆくときに、カーブで地面が見えなくなって窓の下に谷底がひろがる光景を、「空飛んでるみた~い」と、クラスの人気グループの女の子たちがバスの後方座席で騒いでいた話を思い出して今書いているのですが。
ただ、日帰りで何時間も列車に乗っているのは体にこたえます。やはり普段はルームランナーが似合っているようです。4月がはじまりました。
ゐやぁ、似顔絵ブームです。
近ごろ、結婚報告会見で似顔絵を披露するのが定番なのでしょうか。鉛筆っぽい薄い線でノートを破いたようなぺらっとした紙に描いた似顔絵、なんだか注目してしまう今日この頃です。
写真を見て描いたような、髪の毛一本まで写実的に表現した几帳面なタッチが多いような気がしますが、ユースケサンタマリアさんはムーミンのミィ風のイラストを出していたので、どういう似顔絵を披露するかは、モデルとなる結婚相手の容姿というよりはむしろ、描く側の男性の立ち位置の表明にもなるのかなぁ・・などと勝手なことを思ったりして。
わたしは子どもの頃から自画像や同級生の顔を描くときにいつも、先生から「マンガっぽい」と注意されたものでした。小学校の卒業アルバムのプロフィール欄の絵も、わたしの絵だけ浮いてしまうらしく、担任の先生に2度ほど描き直しをさせられました。たぶん先生は、目をレモンのような形に描いて、鼻は、花瓶のようなシルエットに穴二つ、鼻の下には二本線を入れるような似顔絵を求めておられるんだろうなというのは分かるものの、リアルなタッチがちょっとこわくて、反抗心から従えないというより、つい、あっさりした絵の方に向かってしまって、少女漫画家の「陸奥A子」さん風になってしまうのでした。あのとき先生がわたしの絵に違和感をおぼえて、確かにわたしの絵は他のひとに比べて何か味がないというか、無邪気さがない感じだな、ということだけは理解できたのですが、だからといって、写実的な、または形式ばった絵はどうしても描けず、ひたすら戸惑うばかりでした。たぶん、マンガチックな絵とスケッチ風の絵のほかに、人の描き方はあるんだろうな・・と思いつつ今日に至ります。
そんなこんなで明日から4月です。
うちで見ているものは・・・
関東で暮すようになってから、テレビで見知ったひとを見かけることが増えました。あ~○○さんやわぁ・・と心で思いながら駅で通り過ぎたり、「顔はよく見るけれど名前は・・でもあの声、そうそう」とか、納得しながら店をあとにしたりします。
また、時々芝居を観に行ったりすると、テレビドラマなどで見かける方が動く姿を近い場所で目にすることもあります。
舞台上のお姿はテレビとはそう変わらない気がするのですが、同じ地面の上ですれ違ったり、同じ空間の中で座っておられたりすると、いつも不思議に思うのが、「サイズの違い」です。テレビや映画で見ていたときと、背格好や顔の造作のバランスが違うというか。想像よりやせているとか顔が小さい、小柄、というだけでなく、背の高いひとも含めて村上春樹さんの『TVピープル』という小説みたいに、なんだか普通の人間を全体に90%ほど縮小コピーにかけたようなシャープさで、コントラストの%をアップしたような「くっきり感」というか・・・
それが「テレビで見るよりホリが深い」とか「テレビよりかなり美人」などという感想になり、要するに「垢抜けている」という表現につながるのかもしれませんが、これ、芸能人や著名人に限らず、観光地やお店などでも感じることなんですよね。
実際に目にするのと、サイズとか奥行きが違う・・・「そうだ、京都に行こう。」のCMもそうだし、鎌倉のグルメ番組でも、桜のニュースを目にしても思います。札幌の時計台にしても、想像より小さいとかしょぼい、というよりも、時計台周辺の風景がテレビや写真の画面に入っていないために、同じアングルを目に出来ず、戸惑うというか・・
いずれにしても、切り取られた目線の外、想像とのずれとか、がっかりする部分、違和感こそ、面白がる人生にしたいものです。
楽なようなつらいような。
デザインの仕事では、絵柄より、そこに添える「ちょっとした言葉」を英文仏文で考えることに時間がかかってしまうこともしばしばです。
商品や絵柄に関連のある文章にしつつ、あるスペースに収まる長さにしたり、モノによっては鋭角的な文字(M、Aなど)ではなくRとかSで始まる文章にしなければならなかったりします。
知り合いに英語の達者なひとやフランス人がいないわけではなく、何度か頼ったこともあるのですが、そうそう何度も甘えることもできず、かといってウェブ上の翻訳ソフトでは、「あなたがそう思う、ことを最大に望む」みたいな言葉になってしまったりして・・・
むずかしいのは何も外国語に限ったことではなく、パッケージの仕事では、日本語でのコピー(使用方法や商品イメージなどを説明)を考えるのに、うーん・・と頭をかきむしってしまいます。
こちらは、いろいろ規制が厳しくなってきたのか、「○○に効く!」とか「○○を改善」などとはっきり効能や使用方法を書けないようで、婉曲に、でもそれっぽい雰囲気の言葉を載せなければならないのです。ふんわり、とか、やすらぎ、とか、何をどうするのか具体的なことは一切書かずに、それなく無難なワードを並べて文章としておかしくないように成立させねばなりません。
せっかくだから、できるだけわざとらしくない、素っぽい言葉にしたいもんですから、余計に時間がかかるのでしょうけど・・・
言い回し辞典とか、意味ありげな文例集の本とか、ここ10年ほど探しております。ギブミー虎の巻。
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